CUIのメリットと弊害

学習曲線なんてものがある。
たとえばCUI上のテキストエディタとしてよく使われるものとして、Vi/VimとかEmacsとかある。
この手のエディタは使い方が特殊で初めての人はとっつきにくいのだけれど、あるところまで使い方を覚えてしまうと、そこから加速度的に使い方のレベルが上がっていくとか。
これを学習曲線というグラフにプロットすると、初めのほうは傾きが小さいが、真ん中を過ぎる前あたりから急激に上がる。
かくゆう僕も、Vimなんてなんじゃこれと使っていたら離れられなくなった人間でして……。USBメモリにはgvimを放り込んで何かとそれを好んで使っていたり。

今、バイト先の遊べるサーバ、と言ったら何か言い方が悪いかもしれないが、UNIX上で出来るテクニカルな物事の実験用として整備しようと思うのです。ただしCUIインターフェイスでやってね、と。
UNIX系OSってのはちゃんとX Window Systemという立派なGUIがあるものの、それから専門的なことをやろうとすると、どうしても各種端末を使ってコマンドを叩かないといけない場面が多いと思う。だったらCUIでいいじゃん。
今のWindowsはどうか知らないけれど、僕がいまだにメインとして使っているWindows2000ではGUIで出来ることはすべてCUIで出来る、ってことはなかったと思う。シャットダウンすらどっかからそれを行うプログラムをとってきてやらないと出来なかったり。
UNIX系OSは基本状態がCUIであるわけだから、画像やら動画とかWebページとか、そういったマルチメディア系の処理以外はほぼすべて出来ると思う。
遊べるサーバの使用用途としてはそういった出来ない処理は想定していないわけだから、CUIのみの提供でいいんだよね。

あとは使う側の人間の問題。
CUIはとっつきにくい。あくまで文字であって、視覚に訴えるような仕組みにはなっていない。目で見えないところは想像で補う。ここテストで出ます。
こうあるべき、とまでは言わないけれども、PCのテクニカルサポートを行う人間としてはCUIの操作について少しは興味を持ってほしいんだよなーと。
後輩見ていると、「いまどこのディレクトリに入っているかわからないからどうすればいいかわからない」とか「このコマンドどうやって使うんだ」とか、そういった場面に出くわすことが多いみたい。そういったところを少しずつ少しずつ、アドバイスをして初速を与えてやれば、学習曲線は加速度的に、ひとりでにあがっていくのではないか、と期待。

ただ、やはり実用性というか、「これ何に使えるの」っていう問いに答えがないと、なかなか先に進まなかったりするんだよなあ。後輩の一人はサーバの必要性を理解してくれたからそれでいいんだけれど、他の人が「あいつがやっているから、まかせちゃおう」っていう気にならないか心配。
「このサーバ、勝手に使っていいので」とミーティングで言って、それでも「自分は関係ない」と思っているやつをどうか少しは、片足のかかとぐらいは引き込ませるぐらいの努力をしたい。